ドルは歴史的役目を終える?2007年11月6日 田中 宇ドルに対する世界的な信用不安が続いている。アメリカの通貨当局である連邦準備制度(連銀)は10月31日に0・25%の利下げをした。9月中旬の0・5%利下げに続く追加利下げだったが、これによって、中国(香港)や中東ペルシャ湾岸諸国の諸通貨の対ドルペッグ(為替連動制)が外れそうになっている。アメリカでは景気が悪化し利下げが必要だが、中国・香港や湾岸諸国では高度経済成長が続き景気が過熱し、利上げが必要になっている。だが、ドルペッグを続ける以上、中国と湾岸の当局は、アメリカの利下げに連動して自国も利下げせねばならず、この無理がインフレを悪化させている。(関連記事) 香港では、米連銀が利下げを開始した9月から、香港ドルの対ドル相場が上昇圧力を強め、香港当局はペッグを維持するために2年ぶりの市場介入を行っている。だが、中国・香港の経済活況と、米経済の悪化の両方が、今後も続くことはほぼ確実で、香港当局は市場介入をし続けることができなくなって、来年には香港ドルの対ドル為替を切り上げるか、ドルペッグをやめざるを得なくなるというのが、市場関係者の予想になっている。(関連記事その1、その2) 同様に、ペルシャ湾岸諸国6カ国でも、集団でドルペッグをやめるのではないかという懸念が取り沙汰されている。中東ではイラクやイラン、パレスチナなどで戦争懸念があり、湾岸諸国は安全保障上、アメリカに頼らざるを得ず、その点でドルペッグをやめくにい。湾岸諸国は、インフレ拡大の苦痛と、安保上の対米従属の必要性との板挟みになっている。(関連記事) 湾岸諸国がドルペッグをやめた場合、これまでドル建て表記一本だった石油価格が、ユーロや円などでも表記されるようになる。もし以前の構想どおり、湾岸諸国が独自の統合通貨を持つようになった場合は、独自通貨での表記が石油価格の中心になる。いずれの場合も、国際決済通貨としてのドルの地位は大幅に下がる。(関連記事) 石油高騰のあおりで、湾岸諸国の経常黒字はGDPの30%にもなっている(中国は8%、日本は1%)。黒字の多くは、湾岸各国の政府投資機関による運用資金になっているが、これまで運用の多くはドル建てだった。最近はドルの比率が下がっており、このドル離れも、アメリカにとって危険である。(関連記事) アメリカ以外の各国は、自国の輸出産業が打撃を受けるので、ドル安で自国通貨が高くなるのは避けたい。そこで各国は、利上げの見送りや通貨供給の増大などによって、弱くなるドルに連動して意図的に自国通貨を弱め、自国の通貨高を抑止している。競争激化による商品の価格低下を「デフレ」と偽り、ゼロ金利を続けてきた日銀が好例だ。 世界的に通貨の「弱いふり」戦略が採られ、世界的な通貨安が起きている。そのため、通貨をユーロにペッグしているブルガリアやラトビアといった東欧諸国も、インフレや資産バブルがひどくなっている。インフレやバブルを抑えるため、EUは利上げが必要だが、利上げすると対ドル為替が上がるのでできない。(関連記事) 国際相場の世界では、通貨以外の石油や金、穀物などの商品相場に資金が流入し、石油高、金相場高騰、穀物の値上がりなどの世界的インフレも起きている。先物相場の動向からは、石油は125ドルを越えて上がり続けると予測されている。日本でもタクシー代、電力料金、パンの値段などが上がり、お菓子の一袋のグラム数が減らされるなど、物価上昇が顕著になってきた。これらの根本原因は「ドルの弱体化」である。 ▼米金融危機はまだ序の口 アメリカでは、7月末のサブプライム・ローン債券市場の崩壊に端を発する社債市場の凍結状態が今も続き、これまでは問題ないと思われていた債券が実は巨額の含み損を抱えている事例があちこちで表面化し続けている。先日は、シティグループが損失の償却を発表し、これを嫌気してアメリカの株価が急落した。(関連記事) サブプライム・ローンの破綻は、来年から再来年にかけてひどくなると予測されている。破綻は、これから本格化する。アメリカでは数百万人がローンを払えなくなり、家を競売にかけられて奪われ、ホームレスが増えそうである。サブプライム・ローンを組んだ人の多くはヒスパニックと黒人だという調査結果も出ており、政治的な人種問題に発展して暴動が起きるかもしれない。(関連記事その1、その2) 銀行間で貸し借りをするインターバンク市場の金利も高めで、銀行どうしが相手を信用していない状態だ。債券格付け機関が自社に都合のいいように格付けをしてきたという指摘もあり、どの債券が不良なのかよくわからなくなっており、しかも債券を関連会社に持たせている銀行が多いので、どの銀行がある日突然破綻に瀕するか予測がつかない。米金融界では「どこから飛び出してくるかはわからないが、不良債権はまだまだ隠れているはずだ」というのが共通認識になっている。(関連記事) アメリカの金融界の難局をしり目に、中国や湾岸諸国では、政府の投資機関が世界的な企業買収を展開し、アメリカの金融機関が中国の投資機関に買われそうになったりしている。景気もアメリカはダメな半面、中国やインド、ペルシャ湾岸、ロシアなどのアジア周辺では活況で、アメリカの株が下がっても上海の株は上がる状態だ。かつては圧倒的に世界の中心だったアメリカの経済地位が低下し「世界経済はアメリカ抜きでも発展し続ける」という「デカップリング(切り離し)論」が流行っている。(関連記事) ▼最初から機能不全だったブレトンウッズ体制 アメリカの経済状況がここまで悪くなった根本原因は「赤字」にある。長年にわたる「消費しすぎ」が、米経済を疲弊させた。サブプライム・ローン問題は、米国民にローンを組ませて消費を扇動した挙げ句のバブル崩壊であり、家計の赤字問題である。 米政府の財政赤字も、クリントンが黒字にしたものを、ブッシュが軍事費、テロ対策費、災害復興費、農業補助金など、あらゆるきっかけを使って財政の大盤振る舞いを続け、大赤字に戻した。アメリカは、世界各国の中央銀行に米国債を買わせて借金を肩代わりさせているが、昨今のドル安で中央銀行は米国債を持ちたくなくなり、米政府は危機に直面している。もう一つの赤字である「経常赤字」は、つまるところ輸入しすぎ、輸出しなさすぎ(アメリカの製造業不振の結果)の貿易赤字である。 金遣いが荒いことは、ふつうに考えると「悪いこと」である。しかし、アメリカの無駄遣いは、世界各国が作った工業製品を気前良く買う行為であり、世界にとって「良いこと」だった。アメリカの気前の良い消費がなかったら、1950年代以降の日本やドイツ、70年代以降の韓国・台湾、80年代以降のASEAN、90年代以降の中国やインドといった高度経済成長はすべて、これほどの成功にはならなかったはずだ。ドルの無駄遣いは、覇権国アメリカの「責務」だった。だが今、各種の巨額赤字を抱えるアメリカは、無駄遣いの責務を果たせなくなり、覇権国の座を降りようとしている。 現在の、ドルを国際決済通貨(基軸通貨)とする世界の経済体制を確立したのは、第二次大戦末1944年にアメリカで開かれた国際的な「ブレトンウッズ会議」である。この会議で定められたブレトンウッズ体制は、ドルを国際決済通貨と定め、世界(西側)の主要通貨はすべてドルに一定の固定相場でペッグされ、ドルは1オンス35ドルの固定価格で金につながる「準金本位制」だった。ペッグを維持できなくなった国に緊急融資する機関として、IMF(国際通貨基金)が作られた。 ブレトンウッズ体制は1971年、ニクソン政権の米政府がドルと金の両替停止を宣言した「ニクソン・ショック」まで続き、一般に「理想の国際通貨体制」だったと言われている。しかし、これはプロパガンダである。実際には、ブレトンウッズ体制は、当初からろくに機能しなかった。 ブレトンウッズ体制が定められた第二次大戦直後、世界の富の大半はアメリカに集まっていた。それまで世界の中心だった欧州は二度の大戦で破壊され、工業生産施設は壊れ、金備蓄もほとんど使い果たしていた。アジアの大国だった日本も敗戦で破綻した。半面アメリカは、二度の大戦とその間を通じ、欧州に工業製品などを輸出し続けて儲けた。当時の世界は金本位制で、貿易決済には金が使われた。第二次大戦終結の時点で、世界の金備蓄の80%をアメリカが持っていた。(関連記事) こんな状況下で、世界はドルを貿易決済通貨とするブレトンウッズ体制に切り替わった。だが、世界の金と工業設備の多くがアメリカに集まり、そのアメリカの通貨が世界の貿易決済通貨として使われる体制下では、欧州などアメリカ以外の国々は、金も工業設備もないので何もアメリカに売るものがなく、ドルを得られないので輸入もできなかった。制度が始まって3年後の1947年には、ブレトンウッズ体制は世界の貿易振興や経済発展に役立たないことが明らかになった。 ▼アメリカを赤字にして世界経済を発展させる ドルを貿易決済通貨にして世界経済を発展させるには、アメリカ国外の世界で流通するドルの量を増やす必要があった。外国にドルを流出させるには、アメリカは意図的に輸入や経済援助を増やし、国際収支を赤字にしなければならなかった。 この問題を解くため、最初にアメリカがやったのは、当時ちょうど始まったばかりの「冷戦」を口実にした、西側諸国への気前良い「経済援助」だった。その代表は、西欧諸国に対する巨額の経済援助「マーシャルプラン」(欧州復興計画、1947−51年)であり、日本に対しては朝鮮戦争(1950−53年)に際しての軍事特需や、ソニーやトヨタなど日本のメーカーに対する技術提供である。「欧州や日本の共産化を防ぐため、アメリカからの巨額の経済援助が必要だ」という説明が考案された。 終戦直後の1945年から47年まで、英米は敵国だったドイツが国力を復活しないよう、主要な鉱工業の生産量に上限を設け、経済成長を阻害していた。しかしマーシャルプランの導入を機にこの抑止政策は廃止され、政策は180度転換され、ドイツに対する非常に気前の良い経済援助、技術援助が開始された。 マーシャルプランは、1947年に米国務長官ジョージ・マーシャルが発した宣言的な演説によって始まったが、ハーバード大学で行われた演説を聞いたのは、欧州のジャーナリストらが中心で、欧州、特にイギリスでは大々的に報じられたが、米国内マスコミではあまり報じられなかった。ホワイトハウスはこの日、トルーマン大統領の記者会見を行い、国内マスコミの目をそらした。米国内に知らせないようにしたのは、議会や世論から、対外援助の大盤振る舞いを無駄遣いと批判され、計画を潰されるおそれがあったからである。(関連記事) 1950年代以降、ドイツや日本は、アメリカからの経済援助と技術支援、巨額の買い付けによって急速に経済力を回復し、対米輸出を増やし、ドル備蓄を増やした。米政府はまた、冷戦を口実に自国の防衛費を増やし、世界中に米軍基地を置き、海外で駐留費を使いまくった。終戦時には大きな黒字だったアメリカの国際収支は、1958年には赤字になり、その後は日独などからの輸入が増え、経常収支も赤字となった。 アメリカが赤字を拡大し、世界にドルを流出させたおかげで、世界経済は成長し、貿易量は増え続けたが、同時にドルの刷りすぎ状態がひどくなり、インフレや金相場の値上がりが起きた。ブレトンウッズ体制は金1オンス35ドルの固定相場制で、相場を維持するには、ドルをアメリカの金保有量に見合う限度内の発行量にとどめておく規則が必要だったが、実際にはドル発行量の規制は何もなかった。ドルはアメリカの金保有量に見合う額を大きく超えて増刷され続け、ロンドンの金相場(自由市場)は、1960年代には1オンス40ドルを超えて値上がりした。(関連記事) ▼赤字とドル下落のジレンマ 各国政府は、手持ちのドルを米政府に持ち込んで金に替え、それをロンドンで売れば利益が出る状態になった。アメリカは日独などにドルを金に替えないようクギを差したが、1965年からはベトナム戦争の出費大幅増に加え、米国内での「偉大な社会計画」(Great Society programs)と呼ばれる貧困対策の出費などで、米政府のドル増刷に拍車がかかった。経常赤字は増加し、アメリカからの金の流出も止まらず、ついに1971年には、米政府はドル発行総額の22%分しか金を保有していない状態になり、ニクソン大統領が金とドルとの交換停止を宣言して「ニクソンショック」を引き起こし、ブレトンウッズ体制を終焉させた。 ニクソンショック前のアメリカの状況は、今のアメリカの状況と良く似ている。当時は、ベトナムの戦費や財政の大盤振る舞いによってドルの信用不安が起き、1972年のニクソン訪中など世界の政治体制の「多極化」が推進された。今はイラクの戦費や、テロ対策・ハリケーン被害復旧費などの財政の大盤振る舞いが行われ、ドルの信用不安が起こり、同時にロシアや中国の台頭をアメリカが容認し、世界の多極化が推進されている。歴史は繰り返されている。ドルに関して何らかの「ブッシュショック」が発せられる日が近いかもしれない。 基軸通貨を持つ国は、世界に通貨を流通させる必要があり、経常収支を赤字にせざるを得ないが、赤字を増やすと通貨に対する信用が落ちて相場が下がり、インフレになるという難しさがある。この難問の存在は、1960年にロバート・トリフィンという米経済学者によって発表され「トリフィンのジレンマ」と呼ばれている。(関連記事) アメリカはニクソンショック後も、このジレンマを乗り越えることができなかった。ニクソンショック後、ブレトンウッズ体制の組み直し(スミソニアン体制)が図られたが失敗し、世界の通貨は72年から変動相場制に入った。変動相場制は、市場原理に基づいて世界の為替相場を決めるのが建前だったが、実はそうではなく、米英独仏日という主要通貨の5カ国の政府が秘密裏に連絡を取り合い、必要に応じ為替相場に介入し、為替を適切に維持するという「秘密管理相場制」だった。 この制度は、しばらくは何とか回ったが、1981年に米レーガン政権が就任し、表向きの「小さな政府」政策とは正反対に、防衛費を急増させ、同時に高所得者層への大幅減税を挙行した結果、アメリカの財政を戦後最悪の赤字に陥らせると、ドルの信用不安が再発した。 しかたがないのでアメリカは、1985年に5カ国の秘密連絡体制を「G5」として公然化し、G5の会議で日本円とドイツマルクの対ドル為替を大幅に引き上げる「プラザ合意」を決めた。G5にイタリアとカナダを加えて「G7」にした上で、G7は各国による協調為替介入を継続することを宣言し、非公開でやっていた為替介入を公然化して威力を強めた。 ▼蕩尽に追い込まれたアメリカ 米政府がドルの信用不安を起こすまで財政赤字と経常赤字を拡大してしまう「失敗」は、ニクソン、レーガン、現ブッシュと3つの政権で繰り返されてきた。すでに述べたように、失敗の繰り返しは、基軸通貨の国は経常赤字を拡大せざるを得ないというジレンマに起因している。一般の米国民は、ドルが世界の通貨でなくても困らないが、米の多国籍企業(財界)にとっては、赤字を増やしても基軸通貨が維持されるのが望ましい。ニクソン・レーガン・ブッシュはいずれも、財界を支持基盤とする共和党の政権である。 アメリカの前にはイギリスが、世界最強で基軸通貨を持つ覇権国だったが、当時の貿易決済は金地金で行われ、イギリスは金の保有を増やすため輸出を振興し、植民地だったインドの織物産業を破壊して、イギリスの織物の対インド輸出を増やそうとした。だが、産業を破壊されたインド人は貧しくなってイギリス製品を買えなくなり、この戦略は失敗した。帝国の政府が黒字を貯め込んでも、世界経済は発展しない。結局、イギリスは二度の世界大戦に引き込まれ、戦費の急増で黒字を使い尽くし、大英帝国は失われ、植民地は独立して自前の経済発展ができる素地が作られた(イギリスは、冷戦体制の構築など、独立後の国々を発展させないようにする抑止策を採ったが)。 私は、イギリスを二度の世界大戦に陥れ、黒字を蕩尽させ、植民地の独立と経済発展を誘発したのは、イギリスの資本家層だったのではないかと疑っている。資本家にとっては、富が帝国政府に一極集中しているより、世界各地に偏在し、それを元手に世界各地で生産や経済発展が行われた方が、全体としての儲けが拡大する。帝国本体(覇権国)はむしろ、世界から輸入して赤字になった方が良い。 大英帝国の崩壊期、イギリスは覇権国の地位とノウハウをアメリカに委譲した。ブレトンウッズ体制の創設会議は、その委譲作業の一つである。イギリスの代表だった経済学者兼外交官のケインズは会議で「巨額の経常黒字を抱える国に、強制的に赤字国からの輸入を増加させたり、罰金を払わせたりする制度を作るべきだ」と提案した。世界経済の成長にとって最重要なのは「消費」「輸入」であり、輸出ばかりして黒字を貯め込む国は悪だという考え方だった。当時、世界最大の黒字国はアメリカで、イギリスは大赤字だった。(関連記事) アメリカの反対でケインズ案は実現しなかったが、代償的にアメリカでは「国民の福利厚生のため財政赤字を増やす」というケインズの「経済学」が米政府の政策となり、財政の大盤振る舞いがおこなわれた。すでに述べたように、もう一つの大盤振る舞いであるマーシャルプランも、イギリスに向けて発表され、米国内に対しては隠された。蕩尽的なアメリカの赤字化策は、イギリスと、米英資本家による策略だったと推察される。 ブレトンウッズ体制は、大英帝国時代の金本位制より蕩尽に適していた。金本位制だと、政府保有の金がなくなると輸入ができなくなるが、ブレトンウッズ体制は、金1オンス=35ドルの固定相場制を維持する制度を意図的に欠落させたため、ドルを刷るだけでアメリカはどんどん輸入でき、ニクソンショックまで30年近く体制が持った。その後も、金とドルの関係性を外してドル本位制(G5、G7による名目的変動相場制)を続けたため、アメリカは追加的な支出が可能になり、アメリカがドルを刷って赤字を拡大し、世界経済が発展し続ける体制が維持された。 ▼共和党は資本家の手先、民主党はイギリスの手先? 二度の大戦で覇権を失った後、現在まで続くイギリスの国家戦略は、アメリカを覇権国に仕立て、ドル本位制を採らせ、米英中心の世界体制が経済的・政治的に維持され、イギリスがその黒幕であり続けることである。 一方アメリカは、イギリスの策略に席巻されつつも、機会を見つけては、自国のもともとの国家戦略の方向に事態を転換させようとした。イギリスの国家戦略は「米英が世界を支配し、英が米を操作する」という米英中心主義なのに対し、アメリカ本来の国家戦略は多極主義で、各大陸に覇権国が存在し、覇権国どうしの談合で世界を運営するというものである。 たとえば、マーシャルプランをアメリカにやらせたのはイギリスだが、アメリカは、イギリスの仇敵であるドイツを強化することにマーシャルプランを使った。終戦からマーシャルプラン開始時までの、ドイツの経済成長を抑制する戦略はイギリス的(米英覇権維持)だが、ドイツをどんどん成長させ、大国としての復活を可能にしたマーシャルプランはアメリカ的(多極化)である。 同様に、ソ連や中国を敵視した冷戦はイギリス的だが、ニクソンの訪中や、レーガンの冷戦終結はアメリカ的である。ニクソンやレーガン、ブッシュといった共和党はアメリカ的な多極化を誘発し、米英中心の国際金融体制を強化した民主党のクリントン政権はイギリス的である。共和党は資本家の手先、民主党はイギリスの手先、といえるかもしれない。 日本をめぐっては、日中の接近はアメリカ的(日中連携によるアジアの自立)だが、北方領土の「4島返還」つまり日露接近拒否や、「拉致問題の大騒ぎ」つまり中国主導の東アジア安定策への協力拒否などは、イギリス的(対米従属維持)である。日本の外務省やマスコミの多くは、イギリス的な方向に操られている。日本は対米従属だが、アメリカ的ではない。 ▼米英間の騙し合い 今のブッシュ政権がやっていることは、イギリス的なふりをしたアメリカ的戦略である。ブッシュは02年に「単独覇権主義」を発表したが、これはイギリスに対する強烈な皮肉である。単独覇権を発表し、自滅的なイラク侵攻と、世界的な反米感情の扇動、ドルの無駄遣いしすぎをやって、結果的に米英の覇権を潰し、世界を多極化している。 イギリスは、第二次大戦終結時に国連を作った際などに、アメリカの世界戦略に協力するふりをして、それをイギリス的な方向にねじ曲げることをやっている。これに対抗して、その後のアメリカは、イギリス的な戦略に協力するふりをして、アメリカ的な方向にねじ曲げることを繰り返している。 イギリスは、以前のアメリカの自滅戦略であるベトナム戦争の時に参戦せず、アメリカの多極主義者たちに好き放題の自滅策をやられてしまったので、今回のイラク侵攻では、何とかアメリカと一緒に参戦し、自滅策を抑止しようとした。ブッシュはブレアに「英世論が反戦なら、英軍は無理して参戦しない方が良い」と参戦を阻止しようとしたが、ブレアはその勧めを受け流し、無理して参戦したという裏話が、最近報じられた。イギリスは参戦したが、結局ブッシュ政権による自滅策を止められなかった。(関連記事) 通貨の面でも、ニクソンやレーガンは、経済政策の半ば意図的な失敗を重ね、ドル崩壊を誘発したが、ブッシュ政権も同様に、連銀(FRB)の、ここ数年の利上げと利下げのやり方、通貨発行量の増加などを見ると、意図的にドル潰しをやっている観がある。政権中枢の多極主義者がドルを崩壊させた後、その周りにいるイギリス的な人々がドルの立て直しに奔走し、ドルの世界体制を何とか維持する展開が、70年代以降繰り返されてきた。 今回もまた同じパターンが繰り返されるかもしれない。だが、ニクソンやレーガンの時代のドルの立て直しが、日本やドイツに、イギリス的な米英中心体制の維持の方向で協力をさせることで行われたように、次回に必要な立て直しは、中国やロシア、インドなどに、米英中心体制の方向で協力してもらうことが必要になっている。 そしてブッシュ政権は巧妙にも、中国・ロシア・インドなどを反米(多極化)の方向で結束させ、ロシアのプーチン大統領らが「米英中心の世界体制は、もうやめた方がいい」と主張するように誘導している。イラク侵攻前なら、G8に中国とインドを入れてG10にして、人民元などの為替を切り上げて「第2プラザ合意」を実現し、米英中心主義の通貨体制を守るという展開が十分あり得た。しかし今や中露は、米英中心体制に対抗する「上海協力機構」を作り、インドも包含する方向にある。中印露が米英中心体制の強化に協力する見込みは低下している。 ▼任期末までドル潰しを続けそうなブッシュ政権 クリントン政権の財務長官だったローレンス・サマーズは最近、G8に中国などを入れてドルを再生する案を表明している。来年の米大統領選挙でヒラリー・クリントンが勝てば、サマーズ案が実施され、イギリス的な米英中心体制を復活する努力が行われるかもしれない。しかしブッシュ政権は、任期がまだ1年あまり残っており、任期末まで、米英中心の世界体制を不可逆的に破壊する努力を全力で続けるだろう。(関連記事) ブッシュ政権が望むアメリカ的な通貨体制は、ドルのほかにユーロ、中東産油国の共通通貨、東アジアの共通通貨などが並び立つ、多極的な体制である。IMFやG7は昨春、国際収支の不均衡を是正する方策として、中東産油国と東アジア(日中)に対し、地域の共通通貨を作るよう求めている。中東産油国や日中は、要請に反対はしなかったが、その後何もせず、共通通貨の創設は頓挫している。(関連記事) 今後来年にかけて、米経済はさらに失速し、アメリカ発の金融危機がひどくなり、ドル信用不安が加速するだろうが、ブッシュ政権としては、事態の悪化を事実上放置し続け、その一方で、中東産油国や中国などに再度、共通通貨を作れと圧力をかけると予測される。 東アジアの共通通貨の構想は、以前は「日中とASEAN」という組み合わせだったが、日本と中国の関係が今後も改善しない場合、むしろ中露中心の「上海協力機構」を基盤とした共通通貨作りが先行し、日本は通貨の多極化の中で孤立していく可能性もある。日本の経済力と経常黒字、外貨準備の巨大さを考えると、日本は外されそうもないが、事態は流動化している。 ドルに関しては、通貨多極化の一環として、アメリカとカナダ、メキシコの北米3カ国で共通通貨「アメロ」(Amero、「アメリカ」と「ユーロ」からの造語)を作り、アメリカの通貨はアメロに移行してドルは廃止されるという説もある。(関連記事) 最近、メキシコのフォックス元大統領がCNNのインタビューで、ブッシュ大統領が自由貿易圏構想の一環として、メキシコ、カナダとの共通通貨創設について了承したと述べ、関係者を驚かせた。ドルの信用不安がひどくなり、世界の通貨体制が多極化し、アメロの創設とドルの終焉につながる展開が、実際にありえる話になってきた。(関連記事) 通貨が多極化すれば、世界経済を回すための「消費大国」の役割も多極化され、アメリカの負担は軽減され、再び製造業を発展させられる。アメリカでは1960年代以来、自国の輸入を増やすため、自国の製造業を自滅させる策が繰り返されてきたが、その必要がなくなる日は遠くない。 この記事の配信直前に、ブラジル出身の世界的に有名なファッションモデルであるジゼル・ブンチェンが、今後はドルでのギャラ受け取りを拒否し、ユーロでの支払いを好むとの宣言を発表したというニュースが入ってきた。すでに世界の流行の最先端では「ドルの終焉」がファッショナブルな話になっている。(関連記事)
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